AwajiPlatz 30Th

利用者様の声User's voice

メンバー Member

話せる場所ができた、というのが一番大きいです。個別のミーティングではプライベートな話を相談し、居場所ではまったり好きなもの(アニメやゲーム等)の話をしながら、ストレス発散しています。
オンとオフの切り替えができるようになったかなとも思います。
以前より成長したかな?したよ!と思うことが最近増えたので、気持ちが楽になりました。
(女性/20代)

プラッツに来て、気づけばもう6年目になっていることに驚いた。プラッツに来た時は、親に言われて週一回行けばいいだけだからと思い、渋々行ったときからもう6年目…。
2年経ったらプラッツにはいないと思っていたのに…6年は流石に長く居てると思ってしまった。でも、振り返ってみれば、あっという間だった。
旅行などの良い思い出や、メンバーとの微妙な距離感、あと自分の将来について悩んだこと。
気づかないくらい時間が過ぎているせいか、プラッツに来た時の抱えていた不安などは気づけば無くなっていた。
今は新しい不安というより、課題が生まれてきている。そう思えたのはプラッツに長い間居たからだと思う。
プラッツと言う場所は将来来るとは思っていなかった場所だ。
でも、長い間居たからこそ、新しい目標や課題、夢ができたと思う。
(男性/30代)

卒業生 Graduate

私がプラッツと関わりを持っていた頃から、約10年が経ちました。
その間に、いろいろな場所で人と出会い、話し合うこと、体験することで、私自身は生きやすくなったと思います。ただ、社会の方が息苦しくなってきたのか?プラッツのような場所が以前よりも、求められているように感じます…。
それは、引きこもりの若者だけでなく、どんな人にとっても。
そんな居場所を探すこと、場所と場所を繋いでいくこと、必要としている人に情報を届けることが、これから大事な気がします。そのための方法を、考えているところです!
(女性/20代)

自分が通っていた頃から早20年、何よりも通いだしたのがプラッツ始まってわずか5年のことだったのかというところに驚いている今日この頃です。
通い始めた当時、スタッフは初代塾長、蓮井さんと、三代目塾長、金城さんでした。○代目と書くとヤクザみたいですね。お二人には沢山時間を割いてもらい、とりとめのない話を聞いてもらったものでした。(とりとめのない話どころではなかったかもしれませんが…。)
淡路プラッツで過ごした時間は宝です。他人が聞いてしょーもないと言われても、自分の中では宝です。ここでの経験や話したことが、今も仕事をする上で大きい役割を果たしている気がします。人が相手に対して時間を割くという事は、あたり前の様であたり前じゃない。大事なことだなぁとプラッツに行っていた自分を思い返し、今また改めて思う事です。
ありがとう淡路プラッツ。
(男性/30代)

現在、高齢者施設で4年間働いています。
プラッツに来た頃は、月に二回外出するだけでも大変で、外出する前日から心と体の準備時間が必要でした。
プラッツは同じ立場の人と接する初めての場所で、いろいろ刺激を受けましたが、特に飲みトレが好きでした。
ある時OBからお話を聞かせて頂く機会があり、堂々としている雰囲気や忙しく働いている話に圧倒され、自分には全然無理!と強く思っていました。しばらくして自分がちょっと頑張れそうなタイミングに、職場体験を用意して頂くことがあり、今思うと、このことが働くことにつながった経験だったと思います。
小さく見えることでも積み重ねで今の自分がいると感じるので、プラッツの存在は大きかったです。
(男性/40代)

親ごさん Parents

幼稚園から行きにくかった。小学校では保健室や担任の先生の配慮をいただいて、休みながらも何とか行っていた。中学校で全く行けなり、外にも出れなくなった。親として成す術もなく困り果てていた時に「淡路プラッツ」と出会ったのだ。中2の彼のそれが始まりだった。しかし最初からスムーズに行けた訳ではない。個別面談から始まって、少しずつ居場所にも入れるようになるが、緊張度が高くよくお腹や頭が痛くなった。何度も行きつ戻どりつしながらも、プラッツの先を急がない、明るいゆるさの中で、親も子も安心して居られる場となっていった。そしてここから通信通学制の高校に通い、アルバイトをし、自動車学校に通い、就職のための事業にも参加させていただいた。初めての飲み会もカラオケも旅行も全てプラッツだった。そして今、ここで出会った仲間とプラッツの外でも会っている。
息子の人生の大事な時期を、長きに渡って淡路プラッツに育てていただいたと心から感謝しています。プラッツのした最大の仕事は、人生の歩みの「地固め」をしっかりしていただいたこと。何度も踏んで踏んで、ちょっと進んではまた戻ってきて踏みしめる。それが確実な道となり、生きる力となって、今の息子に備わっていると確信しています。
(女性/50代)

「ようこそいらっしゃいました。ゆっくりしていってくださいね。」にこやかに迎えてもらった親の会。吐き出すように一気にしゃべる私を、遮ることも、批判することもなくじっと耳を傾けてくださいました。ここでは本音が言える!緊張はどこへやら、そのうち笑っていました。親の会初日の思い出です。それから?年、以来毎月参加しています。月一回の集まりは、しょっている肩の荷を下ろし、つらい思いを吐露し、時には慰めてもらい、共感してもらい、励ましてもらい、大げさですが、命の洗濯をしています。ここでしか話せない、わかってもらえないことを誰の耳も気にせず、オープンにできる唯一の場です。私には本当に大切な親の会です。問題の解決はご存知のように一筋縄ではありません。こうすればこうなるの方式もなく、10人いれば10通りの道が必要なんだとおもいます。当初、なぜうちの子なの?、子育てのどこがいけなかったの?、前世で何か悪いことした?堂々巡りのことばかり考えていました。プラッツのスタッフの方との面談で、原因さがしはやめましょう。お母さん、お自身の体もいたわってくださいよ。お子さんの良いところをもっとみましょう。その時の私に一番必要な言葉をかけてもらって、どれだけ救われたことでしょう。また、的確な助言は親として大きな失敗をせずにすみました。スタッフさんの温かな寄り添いと、ゆったり・まったりな居場所のおかげで、わが子も少しずつ動けるようになりました。
(女性/50代)

創立から、はや4半世紀が経つというのをお聞きして、今更ながら驚いています。私の娘がお世話になり始めたのが8年程前の2010年6月頃と思います。その間スタッフの方々には親子共々大変お世話になりました。というか今もお世話になっています。寄稿にあたり過去の「ゆうほどう」をプラッツのHPからいくつか読ませていただきました。その中でひきこもり支援を「トンネル」に例えたブログがありました。まさに、これだ!!と思いました。私達は、いまトンネルの中に立っている。当時は出口のない、いや見えないトンネルでした。1か月、半年、一年と月日が流れるにつれて少しずつではありますが、灯りが見え始めました。灯りとは、本人の意識、態度、言葉が単に変化したのではなく進化してきたということです。「居場所」を舞台に例えると、「雑談」というオーデションを「気楽に」という参考書を心の中に持たねばなりません。その「気楽に」というのが最も難しい事だと気づかされました。「保護者会」では、いろいろな話が聞けて、楽しくもあり又、悩んだりそれぞれの家庭には一つとして同じものがない悩みがあるものだと実感させられました。
ある年のブログに「心が変われば、~、~、人生が変わる」とあります。心を変える?これほど難しいことはないと思います。しかし、心が変わらねば、人生は変わらない。ということです。私は、まだまだです。子供のほうが先を行っている気がします。私達親子の為にも、これからも末長く淡路プラッツが続くことを願っています。いろいろ書きましたが、プラッツに来て本当によかったと思います。プラッツに来ていなければ、、そんなこと考えられません。考えたくもない(^_-)-☆
最後に、面談の時に履かせてもらっているスリッパ、「お迎えスリッパ」というものなんですね?こんどじっくりみさせて頂き、心して履かせてもらいます。
(男性/60代)