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若者本人 | 淡路プラッツプラッツからのメッセージ

会話

藤村 泰王

以前、ネットを見ている時に目に留まった本がある。その本は購入しようか悩んで結論を出す前にすっかり忘れていたのだが、たまたま本屋に寄ったときに見つけ、思わず買ってしまった。その本の題名は「お父さんがキモい理由を説明するね」(リンダブックスより出版)で著者の中山順治さんとその娘(中学生)がサシでマジトークした内容をまとめた本だ。

僕には2人の娘がいる。まだ幼稚園に行き始めたばかりだが、いずれ思春期に入り、キモいといわれる前に心の準備をしておこうと思って読み始め、まだ序盤と最後のまとめの部分しか読んでないがなかなか面白そうだ。著者は家族からも気持ち悪がられるほど娘を溺愛し、その溺愛ぶりを冷静に批判する娘が色々なテーマ(恋愛・死・生きる意味など)でマジトークしている。それを週1回、3ヶ月間続けたそうだ。

だからといって、将来、自分の娘とマジトークが出来るとは思わないし(出来るならやってみたいという気持ちもあるが…笑)、このエッセイを読んでいる皆さんに親子のマジトークを勧めているわけではない。しかし、若者本人の状況によってはチャンスがあればマジトークするのも若者にとって有意義なものだと思う。

 

 

プラッツでのテーマトーク

プラッツに来ている若者たちもこの娘さんと同じように自分の将来や現状、その他様々なことについてもしっかりと考えている。でもそれらを話す場所がないことや恥ずかしさ、自信のなさからくる「自分が話すことなんか聞いてもらえない」という気持ちなどもあり、多くを語らず、自分の胸の内に押さえ込んでいるように感じる。その証拠に面談の中や居場所の中で若者たちは、自分の考えや意見を話してくれるようになる。もちろん最初から自分の意見などを話してくれるわけではない。

プラッツでは普段何気ない会話の最中や毎週行われるナイトプラッツ(メンバーと一緒にお酒を飲みながらわいわい過ごす)で突然テーマト-クが始まることがある。そして、始まる確立はかなりの高確率!その場にいるメンバーやスタッフ関係なく1つのテーマについて全員に話が振られる。誰かが話し終わると質問したり、途中で突っ込みを入れたりするが最後まで聞き、自分はこう思うなんて意見が出たりすることもある。否定されることなくちゃんと聞いてくれる人がいることで話が出来るのだろうと思う。

 

親子だけでなく

書籍の中で著者は、子どもと話すポイントに自分と子どもの話す量を半々にすること、親の立場を捨てることを意識したほうがいいと書いている。親目線で話すとどうしても「こうしたほうが良い」「それは間違っている」「社会にでたら…」ということを言いたくなり、説教くさくなってしまう。なるべく子どもの意見に耳を傾け、「なぜそう思うのか」を聞くことで子どもの本心を聞き出せたそうだ。

書籍の中のマジトークは著者とその娘さんだから出来た話なのでどの家族にも当てはまる方法ではないが、親子として話すのではなく、1人の人間同士として話すことはどの家族にでも使えるだろうと思う。そして、1人の人間として話すことは親子だけでなく、友人、同僚、上司、部下など全ての立場の人との間に有効だと思う。

 

今回は僕のエッセイでありながら「お父さんがキモい理由を説明するね」の著者中山順治さんの言葉を引用させてもらうことが多かった。次回のエッセイの時には自分の言葉で書きたいと思う。

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光陰矢のごとし(2014)

安田 昌弘

今年も早や1年の2/3が過ぎ去りました。プロ野球シーズンが終わりを迎える秋は、私にとっては憂いの時期でもあります。ある意味、私の中ではすでに今年は終わったも同然。ついこの前新しい年を迎えたはずなんですが、もう大晦日の心境。「あっ」という間に1年の2/3が過ぎるくらいです。残り1/3なんて、「あ」ともまともに発音できないくらい、瞬く間で過ぎることでしょう。とにかく、あまり時の経つのが早いのはやめてほしい。「あっ」という間のことで、体感では気づかぬまま、確実に身体のあちらこちらに下降線となって刻まれている… それを果たして年輪というのだろうか…

日ごと、寒くなり、日照時間が短くなるダークネスな季節、ネガティブモード全開です。

 

ネガティブシンキングは良くないのか?

と、ネガティブな面持ちではありますが、私はもともとネガティブシンキングの持ち主です。自然な流れで後ろ向き、さまざまな事柄について、頭の中で目まぐるしくネガティブ展開していきます。ネガティブとは、否定的、消極的、悲観的ということで、ネガティブな人、性格というと一般的にいいイメージは持たれません。しかし、これはあくまでも単に印象ではないかと。根っきりこっきり悲観的で、後ろ向きな人なんてどこにもいないのではないでしょうか。人生、より良く前に進もうと思うからこそ、そのマイナス要素であるネガティブな道が、たくさん、そしてより太く見えてしまうだけなのだと思います。本質的に、人はみな自分を肯定し、ポジティブでありたいと思っています。

ネガティブシンキングには、慎重に物事を見つめ、考えを深めたり、冷静な判断ができたりといい面もたくさんあります。あらゆる困難、課題に対し、常に、冷静に物事をとらえ、あらゆる面から試行錯誤し、局面の打開を図るためこれまでには考えも寄らなかった新しい発想や方法を発見し、光明を見いだす。変ですが、ポジティブなことだらけです。ただ、やっかいなところは、ネガティブシンキングと完全主義は相性が良く、あまり行き過ぎると『重箱の隅をつく』ではないですが、暗黒面にどんどん浸かっていってしまいます。結果、「これは完璧」と思慮を尽くしたであろう道とても容易には飛び込めない。「何か落とし穴があるのでは」と、さらにもつれにもつれるネガティブシンキング。その新たな方向も分かれ道、功罪有り、無性に気になります。『罪』の方が… たまらなく気になります。うずうずします。 -むしろ、その落とし穴を探すのが好きだったりして- 完全無欠は永遠の彼方へ。未来は見通せるなら見てみたいですが、今見切ろうとしても無理があります。

 

ポジティブであるために

普段、私は面談を通して、親御さんそして若者本人のお話をたくさん聴かせてもらっています。親御さんは子どものことで悩み、不安や焦りに苛まされ、とてもネガティブな状態にあります。また、当事者である若者もうまくいかなかったことが素ともなり、性格的にかなりネガティブな面が顕著となっています(それがゆえ、私は若者にとても親近感を覚えるのですが)。しかし、ネガティブには本来ポジティブな側面があるのです。ポジティブにイメージすることはできても、どうしてもその中のネガティブな予測が顔を覗かせることはありますが、ポジティブな面を意識し、行動することが秘策だと思います。はじめの1歩目講座では、親御さんには少しでも気持ちを楽にしてもらえるよう、『ポジティブであるために』ということで、発想の転換を図ってもらっています。若者には、ネガティブな空気が漂うダークサイドにおいて、少しでもポジティブな要素(笑い、安らぎなど)を見つけてもらえるよう日頃から接しています。

物事は、ポジティブに考える方が好転していくとも言われています。ネガティブの人の最良の未来予測の方法は、ネガティブの中でのポジティブ転換ではないかと思います。行ったり来たりにはなりますが、そのバランスの持ち方が大切なのではないかと思います。

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親御さんが自分の生活を楽しんで元気でいてください。

「親御さんが自分の生活を楽しんで元気でいてください。」
僕は面談で上記の言葉を親御さんに必ず伝えさせてもらっている。

子どもの相談できているのに「なぜ、親のことまで」と感じる親御さんは多いのではないだろうか。
実際、親御さんの面談の途中、自分の話になると子どもの話に戻そうとする親御さんが多いように感じる。
特に、来所して間もない親御さんはその傾向が強いように感じられる。
もちろん、子どものことが心配で相談に来ているから当たり前のことで、何も間違っていない。
それでも、僕は、親御さんの話に戻していく。

それは、「親御さんが元気でないと本人も元気になるのは難しい」と思うからだ。
これまでのスタッフエッセイでもあったように、プラッツは親御さんへの関わりを大切にしている。

それは、プラッツが親の会から誕生した団体だからだけではない。
家族は不思議なもので、しんどい雰囲気を持っている家族がいるとそれが他の家族に伝わる。
逆に楽しんでいる家族がいるとそれが伝わっていく。
だからこそ、プラッツは親御さんへの関わりを大切にしている。
親御さんが生活を楽しむことの大切さはもう1つあると思う。

本人たちは社会で生活することに不安や恐怖を感じているところがある。
しかし、社会で生活することは不安や怖さだけでなく楽しいこともたくさんある。

本人たちは不安や怖さに囚われ、楽しさに気づくことが出来ていない。
しかし、親御さんが楽しみながら生活している姿を本人達が見ることで、本人たちの不安や怖さが薄れ、楽しさがあることを知る。

親御さんが楽しんで生活するのは本人達のためでもある。だからこそ、親御さんに元気で、楽しんでほしいと思う。

「いいかげんさ」を身につける。
これは本人さんの面談の時によく伝えさせてもらう。
本人たちと面談や居場所で話をしていると「0か100か」、「白か黒か」という極端な考え方をしていることが比較的多いように感じる。間の「どちらでもない」という曖昧さが本人たちには少ない。
僕が言う「いいかげんさ」とは、悪い意味ではなく「いい塩梅」という意味での「良い加減さ」である。本人たちの白黒思考は真面目さゆえであると思うが、それゆえに、縛られていて身動きが取れなくなっている印象を受ける。他人との距離の取り方、物事に対しての考え方など真面目に考えれば考えるほどわからなくなってしまう。だから、自分の心地良い距離や考え方を身につけることが自分を楽にしてくれるんだと思う。

しかし、この「良い加減」は100人いれば100人が違う。面談の中であなたの「良い加減」はこうですよと言ってあげることは出来ない。本人が生活していく中で見つけていくしかないと思う。だから、自分で勝手に見つけてくれというわけではない。見つけていく作業として居場所がある。居場所での様子や居場所での人との関わり方を本人と振り返る中で「良い加減」を見つけていける。
身につけた「良い加減」が社会に出た時に自分の身を守ってくれる。ストレスや人間関係、その他の様々なことにしても真正面から受け止める方法以外のことを考え、実行することが出来るようになると思う。

「居場所」
人には一息つける場所が必要だと思う。この一息つける場所が「居場所」であると思う。
プラッツの支援メニューの居場所というわけでなく、そこに行けば誰かがいて、自分を迎え入れてくれる。
そして、なんでもない話ができ、安心出来る場所。

プラッツが皆さんにとって、「居場所」になれたらいいなと思います。
最後までお読みいただきありがとうございます。

藤村泰王

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