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金井秀樹 | 淡路プラッツプラッツからのメッセージ

“本が捨てられない!?”

 金井 秀樹

 誰の作品だったかは忘れてしまいましたが、10年以上前に読んだsf小説で、地球上の人間関係や諸現象に倦んでしまい、新しい惑星に一人で住み着いた王様(不老不死の状態だったかどうかは思い出せないのですが。)が、とうとう魂の平安の地を手に入れ喜んだと思いきや、次に永久に自分自身と向き合うしかないという、絶対的な孤独に耐えられなくなってしまいます。そして最後には、必応答可能性のある知的生命を必死に創造しようと試行錯誤する。そんな物語だったと記憶しています。当時は「万が一神さんが存在しているとしたら、寂しくなって人間を創造したんだろうナ」とか、「ナンてことだ。どれだけ人間関係から逃げたとしても、究極はこういう結果になるのか!」とか…、自分なりの解釈と勝手な納得をしたものでした。

 

一般的に居場所を修飾する言葉にはいくつもの連想が成立するようです。例えば、これから行く、帰るべき、癒しの、楽しい、誰かが居る、愛すべき、変化する、不変のなど・・・。個人的な感性や好みが反映する余地がたくさんありそうですが、ある程度どれも前向きな表現があう様ですね。さらに一般的な意味での居場所を、どこか具体的な場所に置き換えて連想してみると、例えば学校、職場、プラッツ、自室、友人の集まり、家族、喫茶店、スポーツクラブ、電車やバスの車中などなど。おそらく種類も意味も考え方も、人の数だけあるのかもしれません。つまり思い切って言ってしまえば、まず自分自身が「そう」思いさえすれば、「そこ」が居場所になり得る訳です。

 

ところで最近この本と別れようか残そうか…、最後の決断を迫られるその刹那、無作為に拾い上げた本を読むことで、今まで面白くないと思っていたものが急に面白くなることがあるものです(結局はそうやって決断を先延ばしするのですが。笑)。

その一つが自分の作った法律によって裁かれ追放された、秦の法家の商鞅(しょうおう)の話でした。法律を厳密に作り込み、そして徹底的に運用していくことで皆の幸せが実現できると考えた商鞅は、最終的に自分が逃げなくてはならなくなった時、「身分証明書がなければ勝手に宿に泊まってはならない」という、自分が作った法律に背くことで処罰の対象になってしまいます。つまり「これ(ここ)しかない/だけ」と決めつけてしまったら、人の質的・時間的な可能性や幅に対応できず、決めつけたこと自体に疎外され・裏切られていくという感じでしょうか(決して法律の否定ではございません。)。

 

さて、先の「王様と孤高の惑星ただひとり物語」です。「関係の濃淡に関係なく、この惑星で(coffeのコマーシャルのようだ!)必ず誰かが居る前提で生きていられること自体、最低限は自分を孤独から守ってくれているのかもしれない。」と、その後単なる読書感想が自分の中でさらに発展して、普段街ですれ違う良く知らない人々に対しても、急にありがたい気持ちが沸くようになったものでした。名付けて「存在の肯定的相互扶助の一側面」。相当飛躍はしてますが(笑)。

ところで、こういう考え方の持ち主にしてみれば、自分自身が「そう」思えば居場所な訳ですから、捉え方によっては、「自分自身の居場所はこの世界」と言ってしまってもいいのかもしれませんね。ただもちろん決めつけは良くないのです。ではまた!

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オフコース、ユウノウ!

金井 秀樹

 特に目的地や会うべき人がいない旅行で、それが外国の場合、何故かいつもその国に夜9時頃から真夜中にかけて到着する便を選ぶ人がいる。その人は何を隠そう、今までの自分である(笑)。おかげで飛行機チケット代約2~5万円の差額をケチったためにこんな状況に陥るとは!ということにたくさん遭遇することになった。例えばお国柄にもよるけれど、その時間帯に乗ったタクシーの運転手と、行き先と値段を巡る闘いに不足したことがないし、実際その長い戦いの後、疲れ果てて、もう自分で宿を探して値段交渉する気力もないという状態になることも多かった。だから本来なら、朝方に空港の職員に「ドウシタ体調デモ悪イノカ」と心配されていた方がまだ良かった、と思う時も1度や2度ではなかった気がする。そうでなければ、空港の出口で屈強そうな国違いの旅人を発見して、「一緒ニ街マデ行コウ」と頼んだら、「徒歩デ行クケドイイカ」、「イヤ遠慮スル」という展開になったり…。そして何とか夜中にたどり着けた宿で朝(もしくは昼)を迎え、大変な一夜ももう過去のこと、さて切り替えてこれから出かけようかと、いざ宿の玄関へ向かうと、全く新しい景色や音や匂いや熱気などに包まれた瞬間、急に気持ちが萎えて、「えーい、面倒くさい!好きで来たけれど、そもそもなんでわざわざ来たんだろう?」と考えたりする。

 

面談や居場所に来るようになった、アルバイトを始めたなど、「少しづつ今までと違うパターンで動き始めた本人達」に、一定の時間を経た後、「何かきっかけがあったのか?」などについて、教えて欲しいと頼んでみることがある。すると、そのやり取りの最初の段階では、もちろん全員が同じではないけれど、「何となく」、「今までの生活に飽きた」、「同じパターンが退屈になった」と答えてくれることが多い。そして実際はもっと入組んだ複雑な事情や正反対の感情が渦巻いていて、本当は絶対に一言では説明しきれないに違いない内容を、頑張って説明してくれる。だから、「今でも曖昧なところもあるし、本当のところは分からない」と留保しながらも話してくれる本人達が、とても頼もしく感じられこともある。余談としては、やり取りの最後にこう質問が返ってくるのも面白かった。

「なんでこの仕事してるんですか?」と。

 

ところで、先程の旅行の話に戻ると、

 

それでも、気を取り直して、街を歩いたり、観光名所を巡ったりしているうちに、いつも買い物に行くお店や朝食を食べるカフェの店員さん、どの街にも必ず居る、毎日いつも同じ場所に腰掛けている不思議なお祖父さんや、外国人が珍しい子供達、中には家に招いてくれるような特別な間柄になる人々等、様々な人達との交流が始まることになる(一つの都市に長く滞在する場合)。そしてタイミングはともかく、ある程度親しくなると、皆一回は一瞬真剣な眼差しで「どうしてここに来たの?」とか「どうして旅行しているの?」と訊いてくれる。そして、その質問をする時、いつも人々のその眼光たるやどうしてあんなにも鋭いのだろうと思う。本音では、「ええと、どうしてですかね?ご期待に添えるような、そんなに核心的な応えを持っていないのです。確かに名所旧跡巡りだけではない理由が他に何かあるかもしれません。でも例え理由があったとしても、自分でもどう説明したらいいのか分かりません。」と言いたいところだけれど、そんなまわりくどく、長い説明は聞く方が迷惑だと思ってしまう。だから、自分が誰かに同じ質問をして、今まで聞いた中で1番好きな答えは、間違いなく「オフコース、ユウノウ!(もちろん君はそれを知っている!)」である(笑)。

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日はまた暮れる

金井 秀樹

ここ数カ月は毎日2駅分を歩いて、夜景を見ながら帰るようになりました。大体徒歩15分~20分程度だから、大した距離でもないけれど、すっかり最近の自分の「毎日できることリスト」(ちょっと大袈裟。笑)の1つに登録されています。

ところで夜(もちろん日によって時間帯は違いますが)9時以降にもなると、終点の駅の改札を抜けて、地上に上がり、橋を渡り終わった付近には、いわゆるガールズバーと称されるお店や、その他、少しいかがわしそうな(主観です)飲み屋さんの客寄せのオニイサン・オネエサン達が立ち並び、「これからいかがっすか〜。」とか、「どうです、お安くしときますよ。」と盛んに声をかけてくる場所があります。どうしてもそこを通らないと帰宅お散歩コースの川縁に降りることができないにも関わらず、最初のうちはこちらの進路を完全に塞いでまで、熱心な勧誘をして下さるオニイサン、オネエサンもいて、「丁寧なお断りなどできかねる」状況も度々あったものでした。でも断り方を失敗(声を荒げたり、無視したり)すると、散歩始めのこちらの気分が良くないのだけれど、オニイサン・オネエサン達も必死(多分ノルマがあるのでは?)で簡単には引き下がらない。だがこちらも行くつもりはない。ということで、その後の散歩を快適にするためにも、何かいい断り方の方法はないものかと思案してみることにしたのでした。

自分の容姿を客観的に眺めてみたり、遊び心も加えて、まず最初に考えたのが、「香港から来たガイジン」になること(笑)。「ハァン?」とか「パードゥン?」とか。オオ!でも聞き返すこと自体が既に自分から寄って行ってしまっているではないか!余計に面倒なことになりそうだ。ということで実施前に却下。次に最初から目を決して合わせない方法。でも逃げれば逃げるほど追ってくるのが、オニイサン・オネエサン達の本能なのです。今まで以上に進路妨害の頻度が高くなってしまったのでした(泣)。じゃあサングラスはどうでしょう?視線を読み取られることもないですから。いやいや、わざわざ夜にそんな格好する必要もないし、今度は違う制服のオニイサン・オネエサン達に声をかけられそうではないか。「免許証見せて」とか「家はどこ?」とか・・・。それはもっともっと面倒だ!

色々と頭の中で考えては見たものの(ほぼ妄想ですが…)、結局のところそんなに色々試してみる必要もなく、しっかり相手を見つめてちょっとこちらも微笑みながら「ああ!ゴメンね〜」(タイミングが絶妙に重要ではある)と言いながら通り過ぎると、不思議と直ぐに諦めてくれることが分かったのでした(もちろん断る人によって違いはあると思います。ええ)。

ところでこちらは毎日そこを通りはするけれども、時間帯による交代制なのか、入れ替わりが激しいのか、もしくは着ている服の印象で変わるのか分からないけれど、客寄せに立つオニイサン・オネエサン達は時間帯や日によって違う顔ぶれが多いように感じられて、「あれ、この間のしつこい進路妨害のオニイサン最近見ないなぁ」ということもあります。ほんの少しの寂しさと共に。

ところがある月が綺麗で風が涼しげな9月のある日の夜、いつもの様にその場所を通りかかると、比較的何度も顔を合わせているオネエサンが、ナント!「今日も!いい天気ですね。」と声をかけて下さったのです。いやはや恐れ入りました。あまりの衝撃に心動かされて、一瞬足を止めそうになってしまいました。こちらはなんとか足と口を動かして「・・・うん。またね。・・・」と手を振るのが精一杯。

でもその日は晴れやかでほんの少し心暖かな散歩が出来たのでした。

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油断して外に出てみたら・・・

油断して外に出てみたら・・・肌が痛い。
そんな厳しい寒さにもめげず、暖かい居場所のはなしが書きたい!と思いながら、スタッフ金井が行ってみたい居場所の世界(フィクションです。笑)にご案内させていただきます。

最初のハードルが低くて安心できること。
今何してるのかとかどんなことに取り組んでいるのか、どこに属しているのかなんて野暮なことは聞かれない。お互い人間でしょって。それから緊張してガチガチになって初会合して、もう二度とこの場に出て来られないっていう、赤面沸騰しそうなトンチンカンな言動や行動をしてしまっても、サラリと流してくれたりフォローしてくれる。次また会いましょうぜ(よ)って。

やっぱり好奇心を刺激される集まりっていいなぁ。
慣れてきて安心して周りが見渡せるようになったら、ああそれワタシも好きなんですという話を極限まで深めてみたり、未知の世界を教えてもらったり、教えたり。話題がだんだん豊富になってくる。気が合う人とはもう秘密もある。人が億劫とかめんどうくさいということがほんの少し減って、なんかちょっとだけ自由になった気がする。いつの間にか色んな人との関わりが生まれている。今日もまたあのドアを開けると、さりげない「お元気」、「ようこそ」っていう視線が迎えてくれる。

出会いを広げてみたくなる。
少し味をしめて、前より少しだけ欲張りになってしまう今日この頃。他にもこんな場所はあるのだろうとか・・・などと。まあでも現実は現実、最近はあう人あわない人もわかってきて、自分の身の置きドコロも心得ている。このへんが満足のしどころだろうかとも思う。
ところがある日、居場所のスタッフ(この人達には謎が多い)の一人が、「やあ、キミの望みはナントナクわかっているヨ」と言う。「というかこの間言いましたヨね」とワタシ。
スタッフは、「ああそうでしたネ。ごめんなさい。では望みが叶うように手配いたしましょう」と黒い電話を手に説明を始める・・・。

その一歩はいつの間にか。
あれから数ヶ月、スタッフがすべてを「叶えてくれた」訳ではなかったけれど、またひとつの場所を紹介された。この間ちょっとした苦悩や忍耐の時もあった。もちろん前の場所には通っている。でも増えた分だけまた出会い、刺激され、最近はいくぶん時間が過ぎるのが早い気がする。
「また冬が来る前には今度は自分で探すか、ごくごく小さいのを自分で作ってみようかしら。」

そして・・・。
例えば恐れと期待は紙一重で、よく分からないものに対する態度の種類(ウラオモテ)の問題なんだろうと、また新しく通い始めた居場所のスタッフが言っていた。どちらにせよ「もうこのまま何も起きないのではないか」という、あの期待の抱きようもないブラックな恐れにはかなわないと今でも思う。「そんな恐れも少し和らぎ始めた気がするヨ。」と言うと、「ふぅーん」というそっけない返事が帰ってきた。

金井秀樹

 

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