AwajiPlatz 30Th

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1月, 2015 | 淡路プラッツプラッツからのメッセージ

登り窯で焼き物できた!

 

 

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湯のみ、ぐい飲み、焼酎飲み……

早速、ナイトプラッツで活躍中!

焚いた薪の灰が自然につくった釉薬の景色。これは渋い………!!!!!

次回は1月後半にハーベストの丘まで作陶に行って、4月に登り窯焼成。

 

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闇との闘い方…日常、だが非日常的。

宮武小鈴

【暗黒部隊の存在】
「私は日夜、暗黒部隊と戦っている」。
これだけ書くと、小鈴さんはやっぱりヤバイ人やなぁ……と思われる。
その暗黒部隊がどこに居てるのか、が問題だ。それはあっさりいうと、自分の中にある。自分の心の暗愚との闘いともいえる。そして日々、勝ったり負けたりしている。

さて、この〝闇との闘い〟は物語として暗喩されていることが多い。小説、ゲーム、漫画、映画、あらゆる物語の中に表現されていてご存知ファンが非常に多いことも、このような世界感に案外、感覚の根底で多くの人が共感できているからだとおもう。そしてこの“暗喩”は普段の生活の中にもあって、それに気づくと日常のあちこちに“闇との闘い”がベースとしてあることになり、一気に日常の非日常感が高まってファンキーだ。でも気をつけたいところは、それを簡単に「正義と悪」との闘いと言ってしまうと本当に面白くない。やはり「光と闇」という表現の方が深いものがあり、しっくりくる。善と悪が拮抗している世界というよりも、光輝くおとぎの世界が〝闇の世界〟と仲良くセットになっているのだ。
闇との闘いのバイブルといえば「ゲド戦記」。アニメ映画でもあったが、原作の方がやはり秀逸だ。舞台は架空の世界だが、〝己の闇〟がどこにあるのかが書いてある。たとえば、主人公が顔に負った傷の由来、「闇」が潜んで自分を待っている世界の境界、闇に親和する女性の話、などうすら怖いと感じる場面もある。それから、現実的にわかりやすく書いてあったのは『三国志』(吉川英治)だ。一言でいうと人が衰退していく様子がわかりやすく描かれている。特に死ぬ前の英雄には共通の〝兆候〟があり(諸葛孔明は違っていたが)、人のあり方として学ぶところは多い。
ところで、いつも一つ疑問がある。「闇の根源は何か」。
何万年前から、どの時代から、いったいどの人から、どの猿からはじまったんだろう?

【闘い方がある】
“闇との闘い”にはいくつか重要な要素がある。「モンスター的なものが出てくる」「仲間とトラブルを乗り越える」「でも案外たったひとりで立ち向かわないといけない場面がある」。これら全てが自分の中にある世界だと思うと、日常世界が一気に深度が増す。
ところで、“闇との闘い方”の方はどうだろう。剣でぶっ刺す、弓でぶち抜く、罠にかけて捕縛する……これくらいがイメージしやすいが、私のお勧めはこちら。ハリ―ポッターの中で、狼男のリーマス・ルーピン先生が〝闇の魔術に対する防衛術〟を教えるのだが、それは恐怖の対象を〝笑い〟に変えるというもので、吉本新喜劇で育った関西人には非常になじむかもしれない。これもあり。

この“闇との闘い方”を工夫するために日々の中に研究があり、本を読んだり、遊んでみたり、何かを作ってみたり、人と話してみたりする。
だが本当は、一番怖いことは、自分の暗黒部分が暗黒かどうかがわからなくなってしまう、ということだ。それを正義にしてみたり、善なるものと思ってしまった時に、誰かを巻き込んで深刻だったり時には悲惨だったりする状況が生み出されてしまう。
そのために、他人が居ると思っている。「それ、闇やん」「それは案外、闇ちゃうで」と暗に教えあえるような、時には声をかけあえるような関係の、友人知人家族が居て欲しい。それが仲間かもしれない。本の著者でもいい、過去の偉人でもいい、架空の人物でもいい、気付かせてくれれば。
とにかく個人の闇が、バランスを崩していろんな形で膨張していかないように……。

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