AwajiPlatz 30Th

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安田昌弘 | 淡路プラッツプラッツからのメッセージ

“笑いとは・・・”

安田 昌弘

年末年始はお笑いのシーズン

今年の12月、5年ぶりに漫才のM-1グランプリが復活します。「待ってました!」ということはないのですが、なんとなく楽しみにしています。それが終われば、やがて大晦日。大晦日には、もういいかなぁと思いながらも「ガキの使い・・・絶対に笑ってはいけない24時間」で年越し。今年も放送するのでしょうか、この番組。笑わずにはいられません。ほんと、「お笑い」っていいなぁ(おもろいなぁ)と思います。僕は子どもの頃から大のお笑い好きで、めちゃめちゃTVで見ていました。今でこそ若手芸人の笑いのセンスについていくのがやっとですが、できるだけチェックしながら、お笑いを追及しています。年の瀬ともなると、そんな時季が今年もやってきたなぁと思います。

 

とにかくおもろいしゃべりを

僕は、普段の何気ないコミュニケーション時、おしゃべりをする時は、とにかくおもろい言葉を織り交ぜると、心に誓っています(大げさ!)。関西人は二人いると会話が絶対に漫才になるというぐらいなので、僕にも子どもの頃から知らず知らずのうちに、「絶対おもろいことを言うでぇ」的なお笑い精神が宿っています。私の笑いの師匠をあげるとすれば、吉本新喜劇でしょうか。30年前当時の吉本新喜劇は本当に面白かった。現在は、少々色あせて来たものの、「乳首ドリル」ですね(ご存知でしょうか?)。ちょ~くだらない感じなのですが、あのワンパターン、かぶせにかぶせまくる、あれが吉本新喜劇の真骨頂。腹立つくらい笑ってしまいます。そして、漫才ブーム(古!!)。これも僕のお笑い魂の原点なのかなぁと思います(芸人ちゃうちゃう!!)。そんなお笑いに影響を受け、常々面白フレーズが頭の中でグルグル廻っています。

 

笑う門には福来る?-おもしろく在る

だから、とにかくおもしろく在る。そして、面談、居場所、そして講座などの場面でも、そのような事を意識しながら臨んでいます。面談にて、親御さんを、若者を、僕の笑いによって、悲しみ、苦しみ、悩みから解き放とうと考えているわけではありません。そんな技術があるようであれば、今すぐ欲しいです。また当然ながら、ふざけてやっているわけでもありません。悩みは一気に好転するという事はなく、行き止まり感ばかりの現実、でも日々そのような悲嘆の中にありながらも、とにかくは笑いがあるように。「笑う門には福来る」といいますが、笑うと福が舞い降りるのかどうかは僕にはわかりません。笑うことは、健康に良いとも言われていますし、ストレスの発散にもなり、心の健康にも良いでしょう。ただ、そんな格言的、効力の側面はさて置き、単純に考えてみても、笑いがある方が、会話も楽しいし、とても愉快で気持ちがいいです。本当は超ネガティブ思考の持ち主の僕ですが、笑いがどこかしらポジティブへと運んでくれているのかもしれません。

ただし、人を笑わせることは難しい。受けを狙うとド壺にはまる、リズムもガタガタ、とても笑えない(汗)。なんでそこまでして人を笑わせないといけないのか...、と、そこは、関西人のサガ...。自分のおもろい壺が、相手のおもろい壺とは限らない。笑いはボケとツッコミのハーモニー、語り手利き手双方の息が合うことが壺です。ネタを繰り、掛け合いの間を探るとコミュニケーション力も鍛えられます。なかなか、お笑いは奥が深い。みなさまも、日常の何気ないことに次から次へと『ノリツッコミ』をしながら、お過ごしになられるというのはいかがでしょうか(笑)。

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安田 昌弘

今年も春が来ました
とても待ち遠しかった春が来ました。桜がめっちゃ好きだからというわけではありません。寒いのがめっちゃ嫌いだからです。寒さは何となく活力を奪うんですよねぇ。秋が深まり、肌寒くなり始めたころから、春まであとどれくらいと指折り数え、カウントダウン。春の訪れをじっと待っておりました。どことなく、虫たちとおんなじ感覚です(笑)。
そんな春は大人にとっても子どもにとっても、その身辺にさまざまな動き、変化がある時期です。そして今年は、私にも変化がありました。3月末で、8年間勤務していた某自治体での職員のための健康なやみ相談員の職を終えました。この間、仕事場は掛け持ちだったのですが、今年はいよいよ淡路プラッツ一本です。暖かくなってくるので、いろいろな課題に取り組んでいきたいと思います(寒くなったら、徐々にフェイドアウト・・・はないように)。改めまして、今後ともよろしくお願いいたします。

メンタルヘルスは大切です
さて、これまで行っていた健康なやみ相談ですが、その相談室は職員の健康管理の一環で(特に心理的なサポート)、職場の中に設けられました。そこでの私の主な仕事は職員の心理的な相談を受けることでした。最近よく耳にする、いわゆるメンタルヘルス相談です。労働者の心の健康問題は、近年、重要なテーマです。相談される職員には、休職中の人もいましたし、これから復職を考える人、現在悩みを抱えながらどうにか仕事に来ている人、もう休んでしまいたいという人、さまざまです。仕事場での不調は、仕事の質量、人間関係、健康問題や家庭でのことなど、これもさまざまな原因があります。心身相関という言葉がありますが、心が不調になると、身体も不調になります。悩みごとが深まると、胃が痛い、眠れないなど体調不良が起こり、大きな病気に至らないとも限りません。また逆に、身体に病気など不調を生じると、心も健康な状態でいられなくなるということは当然あります。風邪をひいただけでも気分は塞ぎます。心と身体はお互いに関係しており、「健康」とは身体だけ気をつければ良いというものでもありません。「心の不調」は、いわゆる健康な人にとっても、いつ何時訪れるかもしれません。だから、日頃からのメンタルヘルスケアはとても大切です。なので、労働者でもある親御さんや支援者のみなさんに取りましても、「心身の健康にはぜひご留意を!」と、職業人カウンセラーから最後の一言 (笑)

社会人の相談をして感じたこと
職員の方の相談をお聴きし、一緒に次のステップを考え、方向づけていく過程はとても有意義であり、組織・労働という枠組みで、その人たちの心の問題に取り組むことは、私にとってとても貴重な経験となりました。組織の中の相談では、確かに「組織」「仕事」という観点に重きを置くことは必須です。職員の健康問題は組織にとっても損失になります。しかし、「仕事と人」ということを考えるにつけ、私が感じたことは、現在就業中である一人の人の悩みに関わること、今現在仕事に就けず、進路が定まらない若者の自立の悩みに関わることは、その本質に大きな違いがないのではないかということでした。「仕事上の悩み」と「自立・就労の悩み」、具体的に見ると、置かれている立場はまったく異なるようですが、自分の進む先に困難が立ちはだかって、うまく立ちゆかない状態にあるということは、個々人にとっての『人生の悩み』であり、そしてまだ続きのある『通過点』に他ならないと。当面の問題、「仕事」「自立・就労」の課題に沿って、その問題対処の方法を考えるだけでなく、これからも幾度となく訪れる『人生の通過点』にサポートしているという感覚が大切なのではないかと改めて感じさせられました。
労働者に対するサポートは同じ組織にその職員が所属する限りにおいて、持続的・継続的なものとなり、またその必要性があります。このような支援の感覚を、プラッツの若者自立支援に活かしていければと考えている新年度です。

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光陰矢のごとし(2014)

安田 昌弘

今年も早や1年の2/3が過ぎ去りました。プロ野球シーズンが終わりを迎える秋は、私にとっては憂いの時期でもあります。ある意味、私の中ではすでに今年は終わったも同然。ついこの前新しい年を迎えたはずなんですが、もう大晦日の心境。「あっ」という間に1年の2/3が過ぎるくらいです。残り1/3なんて、「あ」ともまともに発音できないくらい、瞬く間で過ぎることでしょう。とにかく、あまり時の経つのが早いのはやめてほしい。「あっ」という間のことで、体感では気づかぬまま、確実に身体のあちらこちらに下降線となって刻まれている… それを果たして年輪というのだろうか…

日ごと、寒くなり、日照時間が短くなるダークネスな季節、ネガティブモード全開です。

 

ネガティブシンキングは良くないのか?

と、ネガティブな面持ちではありますが、私はもともとネガティブシンキングの持ち主です。自然な流れで後ろ向き、さまざまな事柄について、頭の中で目まぐるしくネガティブ展開していきます。ネガティブとは、否定的、消極的、悲観的ということで、ネガティブな人、性格というと一般的にいいイメージは持たれません。しかし、これはあくまでも単に印象ではないかと。根っきりこっきり悲観的で、後ろ向きな人なんてどこにもいないのではないでしょうか。人生、より良く前に進もうと思うからこそ、そのマイナス要素であるネガティブな道が、たくさん、そしてより太く見えてしまうだけなのだと思います。本質的に、人はみな自分を肯定し、ポジティブでありたいと思っています。

ネガティブシンキングには、慎重に物事を見つめ、考えを深めたり、冷静な判断ができたりといい面もたくさんあります。あらゆる困難、課題に対し、常に、冷静に物事をとらえ、あらゆる面から試行錯誤し、局面の打開を図るためこれまでには考えも寄らなかった新しい発想や方法を発見し、光明を見いだす。変ですが、ポジティブなことだらけです。ただ、やっかいなところは、ネガティブシンキングと完全主義は相性が良く、あまり行き過ぎると『重箱の隅をつく』ではないですが、暗黒面にどんどん浸かっていってしまいます。結果、「これは完璧」と思慮を尽くしたであろう道とても容易には飛び込めない。「何か落とし穴があるのでは」と、さらにもつれにもつれるネガティブシンキング。その新たな方向も分かれ道、功罪有り、無性に気になります。『罪』の方が… たまらなく気になります。うずうずします。 -むしろ、その落とし穴を探すのが好きだったりして- 完全無欠は永遠の彼方へ。未来は見通せるなら見てみたいですが、今見切ろうとしても無理があります。

 

ポジティブであるために

普段、私は面談を通して、親御さんそして若者本人のお話をたくさん聴かせてもらっています。親御さんは子どものことで悩み、不安や焦りに苛まされ、とてもネガティブな状態にあります。また、当事者である若者もうまくいかなかったことが素ともなり、性格的にかなりネガティブな面が顕著となっています(それがゆえ、私は若者にとても親近感を覚えるのですが)。しかし、ネガティブには本来ポジティブな側面があるのです。ポジティブにイメージすることはできても、どうしてもその中のネガティブな予測が顔を覗かせることはありますが、ポジティブな面を意識し、行動することが秘策だと思います。はじめの1歩目講座では、親御さんには少しでも気持ちを楽にしてもらえるよう、『ポジティブであるために』ということで、発想の転換を図ってもらっています。若者には、ネガティブな空気が漂うダークサイドにおいて、少しでもポジティブな要素(笑い、安らぎなど)を見つけてもらえるよう日頃から接しています。

物事は、ポジティブに考える方が好転していくとも言われています。ネガティブの人の最良の未来予測の方法は、ネガティブの中でのポジティブ転換ではないかと思います。行ったり来たりにはなりますが、そのバランスの持ち方が大切なのではないかと思います。

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居場所=所属する所

スタッフとしてプラッツで仕事をして丸5年が経ち、このごろ漠と感じることをツラツラと述べてみたいと思います 。

居場所=所属する所
プラッツの利用の仕方には、面談や親の会などもありますが、居場所を利用してもらうということが、やはりサポートの中核でもあります。
スタッフとの面談を通して、個人との関係もでき、そして集団での活動にも参加でき、個と集団の両面からの支援が可能となっています。
ただ、その内容に目を向けると、勉学をする場でもないし、就労訓練プログラムがあるわけでもなく、「何をしているのかよくわからん」と疑問の湧く人もいるでしょう。

しかし、『する事柄』に大きな目的があるわけではなく、その場で『いる』『する』ことそのものに大きな意義があると思います。
これまで動くに動けなかった若者ですが、居場所を利用し、他者と過ごすことで、やがて活気が戻り、活動的になっていきます。
そして、家とは違う場所が『自分が居る場所』とできる、それは、別のところに『所属感』を感じるということです。
自分がその場の一員として受け入れられたと感じ、そして同時にその場が自分の一部となるという気持ちは、自分の存在が社会に受け入れられ、またそのことを自分自身が承認することにつながっていきます。
「自分はいる場所がある、そして自分はいる」といったことを確信できるということでしょうか。
かつて社会の場では、それを学校や仕事場といった場所でなんとなく感じることができましたが、現在はそうできない人もたくさんいますし、そうならない社会状 況というものもあります。

プラッツという場が、そのような安心感を得られる場となる可能性があることは、若者のこれからの社会参画を考える上で大きな意義があるのではないかと思います。

多様な自立のスタイル
近年の若者のひきこもり、ニート支援は、就労の問題として取り上げられることが多くなっています。
非正規労働者の増加、はたまた 年金や生活保護など財政的な問題も 重なり、行政の就労支援の施策も多くなっています。
職業訓練は、仕事につくためのスキルを習得する機会が提供され、とても良い方策だと思われます。
しかし、スキル向上ということはとても有用ですが、若者がストレスの多い環境で仕事を継続できるのかということも実は重要です。
正規職員としての労働は非常にハードなものとなり、非正規などの不安定な就労ともなると、正規職員とは異なり、先にもあげたような所属感を得ることもままなりません。
就職が決まり、一旦は自立ができたと思われたものの、続けることができずに再び就活ということでは心もとありません。

自立支援施設としてのプラッツは、一旦立ち止まった若者が自立に向かうためのサポートを提供し、自立、就労へ、といった一時的な寄り道をする場所というイメージが定着しているかもしれません。
しかし、これはかつて社会に居場所があり、所属感が得られた従来のモデルでもあり、一時期、迂回はするものの、またその同じラインに戻ろうといったスタイルに沿ったものでしかないのかなと疑問にも感じられるところがあります。
現代は、多様なライフスタイルが許容されている時代でもあります。
また、地域で若者を支えるという観点もより求められています。
若者、親、スタッフおよびその他関係者が一体となり、プラッツを所属感の感じられる居場所ととらえ、コミュニティのあり方や新たな自立そして就労のあり方を模索しながら、未来のスタイルはどんなものだろうかと想像しています。

安田昌弘

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