淡路プラッツ

特定非営利活動法人青少年自立支援施設

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6月 | 2017 | プラッツからのメッセージ

決断の分岐点と、その向こう…

浅井 紀久子

 いきなりですが、みなさんは、なんらかの決断を迫られたとき、どのようにして決めていますか?思い付きや直観で“こうしよう!”と決めますか?それとも、熟考に熟考を重ねて、それでも決め切らずに、考えることにも疲れてきて…の上での選択ですか?もしくは、誰かに○○と言われたから…ということも、あるかもしれません。

また、誰かに相談して決めることもあれば、誰にも相談せず、自分自身で考えて結論を出す…その時々で、色々だと思います。

もちろん、内容によって多少変わってくるとは思いますが、考え出してから決断までの一定のパターンを、わりと誰しもが持っているように感じます。ちなみに私は、相変わらず(?)相談するのは苦手かもなぁ…。みなさんは、どんなパターンですか?

また、意識しての決断と、無意識での決断(状況や流れ的に、気が付いたらこうなっていた…というような)がある気がします。

どちらにせよ、決断する時には多かれ少なかれ、“覚悟”を伴っています。覚悟したことを意識できたのは、決断した後だったという場合もありですが。やり始めたから・動き出したからには…と。

同時に、ある程度の“見通し”も、あると思います。サイコロ振って決めたのではない限り(最終手段として、それもありかも)、“こうしたら、ああなるだろう”とか。“こっちを選べば、こうなるだろうな。そのことで、こういう変化が起こるかもなぁ…”など。私の場合、そこで考えすぎるから、なかなか決断できなくなるわけなのですが。それに、大きな決断であればあるほど、見通しどおりに進んではくれない…。

どういった決断をするにせよ、その時の“覚悟”や“見通し”は、間違いではないと思います。結果は後からついてくるとも言われますし、どの時点で“結果”と言えるのかも、わからないこともあります。

ただ、後々の状況の変化や思っていたことと違いすぎた場合などには、前に覚悟したこと自体をくつがえしてでも、決断しなおさないといけないことはでてきます。そこに大きな後悔や反省が伴うこともあるだろうけれど、時間は止まってくれないので、それもある意味、一過性のもの。(もちろん、後々のためにしっかりと反省して学習して覚えておくことは必要ですが)

その、覚悟のやり直しは、意志が弱いのとは、また違っていて…。どれを選んだらどうなっていたか…は、誰にも分らないわけですしね。その不透明さが、不安や悩みの元でもあるのですが、過去の決断が合っていたか・間違っていたかは、本当のところ自分自身にしかわからないと思います。いや、それが自分でわかるのも、きっと、ずっとずっと先…。

日常は、本当に大小さまざまな決断の積み重ねだなぁと、最近改めて感じたのでした。

カテゴリー: スタッフエッセイ

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