淡路プラッツ

特定非営利活動法人青少年自立支援施設

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“分析はできるけど解決はできない”のその先へ | プラッツからのメッセージ

石田 貴裕

以前に居場所にいた若者がふと漏らした言葉の中でも特に印象深かった言葉の一つに、「自分のことを分析はできるけど解決はできない」というものがあります。その時は「ホンマにそうやなー、深いなー、名言やなー」と思いつつ、でも、それを受け止めきれずまたサポートもできない自分の未熟さに、悔しいやら悲しいやら憤るやらの何とも言えない気持ちを抱えていたことをよく覚えています。あれから時間は流れて今もまだ同じように何もできない場面に遭遇することも多々ありますが、あの時と少し違うのは、そうは言っても長くプラッツに関わる中で“分析はできるけど解決はできない”のその先を見る機会に出会うこともしばしばあるということです。

スタッフが出来ることの一つに「介入すること」があります。若者たちといろいろな体験や時間や思いを共有する中で、その都度“聴くべきか、教えるべきか、任せるべきか、やってあげるべきか”など、お互いに思い悩みながら見えない着地点を目指して介入していくことになります。それこそ軽いタッチのものから魂のぶつかり合いのような関わりまで、「何を言うか」ではなく「“誰が”何を言うか」の“誰が”になれるまで、時間と信頼を積み重ねながら介入していくのです。

それと同時に、いろいろな人がいることや、それぞれの習慣や文化や考え方があることを知ることが出来る機会として、“自由な大人”な部分を見せたり伝えることもあります。これもまた一つスタッフが出来ることだと思っています。そんな大層なものではなく“素の自分”を飾らずに出すということですが、それを共有できるということもまたお互いに信頼関係が必要だったりします。押し付けでもなく、ねばならないでもなく、自由に表現してよくて、違いがあることを知ること。そういう人もいるのだということ見て感じること。だから、共感するなーでもいいし、自分はそうは思わないでも構いません。あなたもオッケー、私もオッケー、ただそれを知るということは実は結構大事なことだと思っています。そうやって自分の価値観を人と人との関わりで自然と広げ、若者たちが自分でも知らなかった自分を発見することで、自分自身の取扱説明書のようなものを獲得していく場面に出会うことがあります。そんな時、少しだけ“分析はできるけど解決はできない”のその先を見せてもらってるなーと感じることがあるのです。

解決とは、本当にこればっかりは人によるのですが、いろいろあるけどそれでも自分が何となくでも納得できた時のことなんだろうなぁと思います。“諦め”でも“受け入れ”でも“折り合い”でもどんな言い方でもいいのですが、いろいろあるけどある日、自分自身が腑に落ちた、ストンときた、納得できたというところまで至った感じが一つの“解決できない”の先なのかもしれません。それまでは周りがいくらヤイヤイと言おうが、あの手この手を尽くそうが、そんなものは関係ないっていうあの感じです。でも、ある日突然、自分自身が納得できたんだろうなぁと思う瞬間があって、こちらとしては何か分からないけれど一つ何かを乗り越えたのかなぁと思う、といったそんな感じです。そして多分、この“自分自身が”というところがやっぱり一番大事なんだろうなぁと思います。私たちはただそれに寄り添うこと、それしか出来ないけれどそれもまたスタッフが出来ることの一つだと思っています。

あれからしばらく時間がたち、先の言葉を漏らした若者は自分自身の納得を経て、あの時とは違うステージというか場所にいて、あの時とは違う景色を見ています。もちろんどの若者も“待った無し”で今も自分の人生の最前線にいて、今この瞬間だけで区切れば幸せかどうかとか良いか悪いかとかはきっと誰にもわかりません。わかりませんが、さいわい淡路プラッツはまだ存続しているので、たまに連絡をくれたり会いに来てくれたりして、その時に「そんなこともあったよねー」なんて話をしたりしながら振り返ることで、今の立ち位置を再確認している姿を目にすることがあります。そんな時、居場所はもちろんエエことばかりじゃ無かっただろうけれど、そこには同じ時間を共有して得た納得のカケラのような温かい何かがあるんだなぁと感じます。“分析はできるけど解決はできない”、それはきっとまだまだ続いていきます。もしかすると解決できないままかもしれませんし、意外とある日突然解決していたりするのかもしれません。そればっかりは誰にもわからないけれど、私たちは出来ることならやっぱり一緒にその先を共有したいと思いながら、新しい毎日を一緒にボチボチと過ごしているのです。

カテゴリー: スタッフエッセイ

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