NPO法人淡路プラッツ - パート 14プラッツからのメッセージ
語り部~
毎月または隔月に1回行われている居場所イベントの一つ、その名も「語り部」。
「かたりべ」さんじゃございません、「かたりぶ」です、部活なんです、実は(笑)。
ってゆーか、実はプラッツには「なんとか部」がいろいろあって、美術部・バンド部・茶道部など集まるときにはついつい「部」をつける風習があるようです。深い意味はありませんが、もっとネーミングを考えたほうがいいかもですね~(笑)。
とにかく、今回はその中でも「語り部」の紹介をば!
どんなことをしているのかというと、メインの居場所は残しつつ、出たい人だけ別室に集まって2時間くらいひたすら順繰りにテーマトークをするとゆー、いたってシンプルな構成です、はい。出入りも自由、話すも、話さんも、聞くだけも何でもオッケー。
テーマも集まった人たちで何個か挙げて、テキトーに決めて話していくというユルーい設定になっております。例えば「好きな食べ物」とか、「行きたい場所」とか、「自分を動物に例えるなら」とか、「好きな数字とその理由」とか、「ヒマのつぶし方」とか何とかかんとか・・・。なんじゃ、そりゃ~的なお題もいっぱいあるんですが、それが結構面白くて(笑)。なんちゅーか、その人の“人となり”が出るとゆーか、居場所とはまた違った一面が見えて何ともいい雰囲気なんです。
あれも自分、これも自分、いろんな面があってそれがユルっと広がっていく瞬間なのかもしれません。上手く話す必要は何もなく、いるだけでオッケーの「語り部」。写真はお見せできなくて残念ですが、のんびりまったりプラッツな空間です。
機会あれば、ぜひ、お越しくださいね~。
2016年8月4日
変化を見つける
藤村 泰王
今回、このエッセイを書くにあたり、あれこれ考えてみたものの、なかなか浮かばずパソコンの前に座っては諦めを続けていた。そんな中、急に、歩きながら考えてみようと思い立ち、散歩に繰り出してみた。目標を決めず、ちょっと疲れたら帰ろうと軽い気持ちで…
結果はというと、とてもいい運動になった。いや、かなり疲れた部類に入ると思います。
歩くことに集中し、疲れてしまい、当初の目的であったエッセイの内容を考えるということが全くできていない事に愕然としてしまった。歩きながらいろんな不安を感じ、歩くことに集中しすぎてしまいました。
その不安とは、まずは気温の高さ。夏の暑さが苦手な僕は、外に出た瞬間に「無理かも知れない」と感じ、散歩を諦めようかと思ったこと。
そして、目標を決めず歩いていると、どこまで歩けばいいのかわからなくなり、不安に襲われたこと。
もう一つは、普段、ほとんど運動しない中で、思った以上に遠くまで歩いてしまい、暑さに体力を奪われ、帰れるのか自信が持てなくなってしまったこと。
もちろん、ちゃんと家に帰ることはできたのですが…
なぜこんなことを書いたかというと、僕が感じた「苦手な事へ動き出す不安」、「先の見えない不安」、「自分自身への不安」。これらは、動き出そうとした本人・家族、もしくは、動き始めた本人・家族にも似た様な不安があるように思います。
決意して動き出そうとした矢先、様々な理由から一歩が踏み出せなくなってしまった、動き出したら先が見えてくると思っていたのに見えてこない、思ったように先に進めないことに不安を感じてしまう。そして、動き出せて安心と思っていたのに新たな不安が生まれてくる。これらに似たような事を本人・家族から見聞きする事がよくあるように感じます。
僕は、足踏みしたり止まってしまったりすることがあっても、おかしなことではないと思います。
そこに注目するよりも、動き出そうと決意したこと、動いてきた一歩一歩に注目することの方が大切だと思います。
なので、不安に感じた時、一歩が踏み出せなくなった時は、過去の姿と比べ、いい変化を見つけてもらえたらと思います。そうすることで、これから先も変化していくことが想像しやすくなり、不安を和らげたり、足踏みしても、ちょっと立ち止まってもいいかと思えるのではないかと思います。
このエッセイを書いている最中に、相田みつをさんの「つまづいたっていいじゃないか、にんげんだもの」がふと浮かんできました。
動いては止まり、つまづいたり、足踏みしながらでも、少しずつ前に進むことで大きな変化に変わり、それが自信になり次の一歩に繋がる。それを繰り返していくことで、確実に前に進んで行けるようになると思います。
2016年7月15日
カテゴリー: スタッフエッセイ
“あ、これ、前にもあった!”と思えると
浅井 紀久子
今年度、何年かぶりに(たぶん5年ぐらいには、なるでしょうか!?)、サテライトの事業責任者になりました。報告書作成や経理事務などの裏方としては継続して関わってきていたのですが、現場に入るのは、久しぶりです。あれやこれやと記憶を辿りながら、必死の形相で色々な書類を作成し、わいわいと楽しく通所(本体でいう居場所)で小・中学生と関わる…。何ともギャップのある日々です。
~現場とコーディネートと~
間が空くと、そうそう、これこれ!と思う瞬間と、あれ、これでよかったっけ?となる瞬間があります(主に、事務的な面で)。当然ですが、変わった部分もあります。以前頭に叩き込んだ、書類の書き方の記憶を、修正したり。思いがけず、過去の記憶が邪魔をしてきたり。むむぅ…、となっているかと思えば、子どもたちが来る時間になって、一緒に色々取り組んだりして過ごすのが、楽しい…。そして、以前は気付かなかった視点で、自然と関われている部分もあったりして。
他に違いといえば、指導員さん(大学生を中心に、学生さんが多い)との年齢差(笑)。指導員さんとお話することも、色々教えてもらえることも多くて、新鮮で楽しいです。
その他の時間で、相談員さんとも情報交換して、市担当者の方ともお話しして、一人一人の目標や方針を考えて、会議出て、事務処理して、通所のイベント考えて、研修考えて(もちろん、全て私一人ではないですが)…。あぁ、現場とコーディネートと、バランスが難しいのは相変わらずか。
~良くも悪くも経験値~
こうして思い返してみると、以前はここで焦ってたなぁ…とか、こういう時、どうしていいかわからなくて、困ってたなぁ…など、色々思い出すことがあります。今から思うと、わからないことがわかってなかった…みたいなこともあったり。今は、以前あまり気づいてなかったポイントで、戸惑ってみたり悩んでみたり。過去携わっていたとはいえ、悩みがつきることは、ありません。
ただ、確実に、過去の事が経験のベースになってるなとは、実感します。特に、動揺する率が、減った気がします。“あ、これ知ってる…”“あの時はこうしたけど、こういうこともしたら、どうだろうか…”という感覚が、とりあえず気持ちを落ち着かせてくれるというか…。気持ちが落ちつくと、少しでも冷静に判断できる部分も多いですし。サテライトから離れていた期間で、多少なりとも視野が広くなったこともあり。
それは、図太くなったといえば、そういうことかも。でも、悪いことではない気がする。
今回、久々に、同じ事業の同じ業務に戻ってきたことで、わかりやすく過去の自分と直面することになりました。穴があったら入りたい気持ちになったり、思い出して「ぎゃーっ」と言いたくなることもありますが、そういった諸々も全て糧にしながら、今年は今年のメンバーで、今年の通所をやっていこうと思います。
何事も経験…そして、その時点では無意味(というか、意味があると認識していない)なような経験も、巡り巡って自分自身を助けてくれることがあることを、改めて感じる日々です。
2016年6月30日
カテゴリー: スタッフエッセイ
プラッツの”和”週間
年に3~4回ほど(四季ごとに)、細々と開催している、茶道部…(笑)
今回は、少し趣向を凝らして、お干菓子も自分たちで作ることに、チャレンジ☆
火曜日の居場所で落雁を作り、金曜日の茶道部でそれをいただこうという、”和”の週間にしてみました。
落雁は、以前、猫の図書館でのイベント”落雁作り&お茶をいただこう”に参加させていただいた方を中心に、プラッツでも再現!
和三盆や寒梅粉と、ほんの少しの水分…。
その微妙な配分が、難しい…。
そして、型に押し込む!
型から抜くときは、ガンガンと音が響く、キッチン(笑)
押し込みすぎても抜けないし、緩いと崩れるし…でも、失敗しても粉に戻して、再度型抜きできるので、とにかくチャレンジ!
職人さんはすごいね~!と言いながら、結構私たちも頑張りましたよ!
ほらっ!!
美味しそうでしょ!??
…これを、金曜日まで置いといて、しっぽりと茶道部をしました。
茶道部の写真がなくて、すみません。。。
皆で、お抹茶を点てたり、飲んだりしながら、美味しくいただきました♪
今回使ってない型もまだまだあるので、またチャレンジしようと思います(^^*)
2016年6月25日
釣り
居場所イベントで南港へ釣りに行って来ました。
天気も良く、海だからか風もあり、いい気候。
いざ釣り開始!!
まったく釣れない・・・
まだまだこれから!!
やっぱり釣れない・・・
場所を移動してしばらくすると
こんなアジが釣れました。
しばらくすると・・・
体長40センチぐらいのボラがかかりましたが、サビキの細い仕掛けなので釣り上げることが出来ず・・・
この後も、なんどかボラがかかりましたが釣り上げることは出来ずでしたが、釣り上げることが出来たのはアジ4匹
少なすぎる釣果で残念でしたが、次回にリベンジを誓いプラッツに帰ることに。
帰るころに気付いたのですが
みんな日焼け対策をあまりしていなかったせいで真っ赤になり、なかなかひどい日焼けになっていました。
次回は日焼け対策も忘れずに行きたいと思います。
2016年5月31日
カテゴリー: 活動ブログ
居場所イベント
空前のブームになった「おそ松さん」を皆さんはご存知でしょうか?
淡路プラッツの女性メンバーの中でも、「誰押し?」と話題になり、盛り上がっていました。
そんな中、話の中で「おそ松さんカフェ」が大阪でやっていることが判明し、予約制のため、予約を取り行って来ました。
テンションが上がっているお客さん達に圧倒されましたが・・・
こんなカフェラテやコースター付き
周りのテンションの高さに驚きましたが、楽しく過ごせました。
2016年5月20日
カテゴリー: 活動ブログ
“表現力の居場所” 線を引こう、一歩目のエッセンスが必要なときに…
『アートプラッツ』って、なんだかゴロがいいと思いませんか?
線を描く……実は、4~5年前から構想があったんです。もともとプラッツのいろんな場面でメンバーや関係者や、いろんな方と表現活動をさせてもらう機会がありました。プラッツの通常の居場所活動の中でも時々してたんですけど、こんな感じを切り口にもっと「表現」に焦点を当てた居場所があったらいいなと。
何もない紙に線を引いたり色をつけたりするところから、ちょっと考えたり悩んだり工夫したりしながら、誰かと過ごす居場所。小さな「無から有」をたくさん体験して味わって、共有する!なんか想像するだけで楽しい……だが抽象的……(しかもなんと地味な楽しみ……)。
面を作る……「表現」といっても音楽とか身体とか入れたら可能性は無限にあるんですが、まずは地味でオツなところからはじめます。やっぱ「線を引くこと」。その次は「光と闇」とか。「素材」もおもろい。「見る」もクセになりますよ。こんな感じで禅っぽいですけど、簡単なタイトルの時間を今年は6回くらい作りたいと思っています(ほんまはもっとやりたいが…)。
“上手い/下手” “きれい/きれいでない” “器用/不器用” なんかは全く関係ない世界です。
味わえたらいい、それだけなんですが、自分自身が引いた線を見て、味わえて、3割くらい納得できた積み重ねは、大いに自分を元気にします。
立体になる…プラッツのフィールドでするのは非常に意味があります。プラッツに関わる方はもちろんですが、居場所には来にくい方や、居場所支援にはつながりにくい方、親ごさんとか、年齢なんかも関係なく参加していただけるかな、と考えております。普段私が、中学生から80歳の方まで関わっておりますと、話題と知識は差がありましても“感覚・感性”は共感できる部分も多いと感じます。そういうところで、年齢・立場を超えて共感・共有できた体験は、これもまた知らないうちに元気のモト、自信の栄養、心のおやつになっていくようです。
閑話休題…「プラッツ」という名前をつけた人たち(当時のメンバー?)のセンスに頭が下がります。「○○プラッツ」って、何でも使えるんですよ。定例ものから単発ものまで、おおよそプラッツで遊ぶほとんどの内容に名前を付けることができます。ナイトプラッツ、カクテルプラッツ、徹夜プラッツ(なんか夜ばっかりか)、お掃除プラッツ、音楽プラッツ、……というわけで、「アートプラッツ」もその遊び心を踏襲しつつ広げてまいります。
時間ができる…というわけで、お気づきかもわかりませんが、アートプラッツは少々謎めいたコミュニケーションのエクササイズといえるかもしれません。社会参加に自己表現は根源的に必要ですが、アートプラッツが、若者にとってはその一歩一歩を、「感性」を前面に積み上げていくツールになればとおもいます。また、社会参加はしてるけどちょっと一休みの居場所も欲しい方のエンパワメントの場ともなればと、現在企画を練っているところでございます。
宮武 小鈴
2016年5月18日
カテゴリー: スタッフエッセイ
「イベント」の意味と可能性
石田貴裕
今までプラッツに通ってきてくれていた若者たちの中で、この先どうやって社会に繋がり、どういう形で自立していくのかを、出会った時から予想できた若者はほとんどいません。みんないい意味で、私の予想を裏切る形でプラッツを出ていきます。「あ、意外とそっちのジャンルに行くんですねー」とか、「おぉ、そんな繋がり方もあるんですねー」など、実に様々です。もちろん、それは親ごさんにもわからなかったでしょうし、本人ですら予想だにしなかった形で旅立っていくことがほとんどでしょう。それでいいし、それがいいと思います。その時点では可能性は無限大で(本人たちは希望薄で来ることがほとんどですが)、人生何があるかわからないから面白い。だから進んでいけるんだと思います。
「こうなるよ」ってわかっていたら楽しくないし、進みたくない。反対に「どうなるかわからない、お先真っ暗」でもこれまた進めない。多くの若者たちから聞く、この“暗黒すぎて進めない”と“真っ白で広大すぎて進めない”の二極化は、彼・彼女らが抱える特徴でもあり、絶望も達観も根底では実は繋がっていて、どちらにしても動けないもどかしさ、苦しさ、怖さ、しんどさがそこにはあります。いずれにせよ、そのような不安を抱えた形でひとまずプラッツに繋がってきてくれる若者や親ごさんがたくさんいます。それを受け止め、受け入れる場所が「居場所」であり、「親の会」であり、「プラッツ」です。まぁまぁ、ボチボチまったりやろうよ。ほんで、もしやりたくなったら何かやろうか。それまでひとまずのんびりしてようよ、的な。もちろん、そこは探りだせば方法論や支援論も見え隠れするかもなのですが、それはそれとして入口がフワフワとこんな感じなので、ゆえに出口も、いい意味でフワフワと予測不能でスタートしていきます。
話は変わって、イベントについてですが、最近プラッツでは久しぶりのバンド活動が始まり、個人的にも楽しくなってきています。楽器は難しいイメージがありますが、やってみると案外「いけるねー」と出来たりします。そもそも、上手い下手は関係なく、みんなでピタッと合う瞬間があると「おぉー!」と感動するのですが、バンドに限らず、イベントにはこの「おぉー!」がたくさんあります。例えば、楽しかったり、感動だったり、発見だったり、興味深かったり、納得したりなど、何にしろ「おぉー!」と“心が揺れる瞬間”が大なり小なり出てきます。それは言い換えると、内容やタイミングによって「イベント」には、絶望や達観で固まり委縮している若者の気持ちや心を動かせる可能性があるということです。もちろん、そこには人との信頼や関わりがあってのことですが、それを経て「じゃ、やってみようかな」という瞬間があって、そこをイベントが一役買うことになります。
それはいつ?どのイベント?という話になるのですが、これが先の出口の話と同じく、予測不能というか、よくわからない部分を多く含んでいます。例えば、音楽聞くのは好きだけど演奏には興味ないように、また、食べるのは好きだけど料理は好きじゃないように、何が引っ掛かりになるのかがよくわからないことも多く、結局こればっかりは謎なのです。興味はあるけど参加しない・できないこともあれば、全然興味ない感じだったのに当日突然参加してみたりも日常茶飯事で。そこには様々な事情があるので全然OKかつ問題ナッシングなのですが、ともかく予測しきれないという事実があります。だから、数打ちゃ当たる的に、たくさんのイベントをみんなで話し合ってひとまず立ててみます。人や場の雰囲気や時期に合わせて、例えば、TVゲーム、ボードゲーム、アート、バンド、料理、お茶、カラオケ、ボーリング、ビリヤード、ソフトボール、フットサル、映画、お出かけ、旅行、などなど。今年度は日本舞踊、太極拳、ステンドグラス、そば打ち、などもやってみました。でも、目新しいからといって必ずしも参加が多いという訳でもなく、これまた読めないのですが、意外と(と言っては失礼ですが)いつも人気で参加者が多いのが「お茶」だったりします。なぜ?お抹茶が飲めるから?和の心?私には見当もつきませんが、要するにお茶に限らずイベントにおいては、参加予想は結構外れたりして毎回その連続だということです。それでも、何かのタイミングで誰かの引っ掛かりになることも大いにあり得るので、その一瞬のために色々なイベントを模索しているのです。
実際、誰がどれに参加するかは蓋を開けるまでわかりませんが、イベント体験は良くも悪くも若者たちの心を揺らし、その経験はまた次へと繋がるかけがえのない一歩になっていきます。面白かったか面白くなかったでも、しんどかったかしんどくなかったでも、もう充分かまたやりたいでも、感想は何でもいいと思います。大事なことは、想像だけではなく本当の実感がちゃんと伴ったうえで“経験して感じること”、これに尽きると思います。そして、この“経験して感じること”だけは、親も他の誰も肩代わりしてあげることができません。だからこそ、イベントを通して自分でリアルに感じること、「おぉー!」と心が揺れることを、出来るだけたくさん体験できるといいなと思います。もしかすると、絶望や達観が邪魔する部分もがあるかもしれませんが、それでもイベント体験を通じて「いいことばっかじゃないけど、悪いことばっかでもないかな」と思ってもらえる居場所でありたいと思いますし、そんな社会であって欲しいと心から願います。なんてことを思いながら、日常は“愛すべきアホらしいイベント(exラーメン梯子食い)”から“壮大なイベント(exメキシコ旅行)”までを、分け隔てなく愛でる毎日です。
結局のところ、イベントも出口も何がきっかけになるのかはわからないですし、どうやって旅立っていくのかもはっきりとはわかりません。でも、逆に言うと何でもがきっかけに成り得るということですし、だから人生は面白いと思うのです。これからもたくさんのイベントを通じて、また新しい誰かの一面に出会い、その先の一歩に関わっていくことを続けていこうと思っています。
2016年4月30日
カテゴリー: スタッフエッセイ
La(ラ) vida(ビダ) es(エス) un(ウン) carnaval(カルナバル)
安原 彩子
「人生はカーニバル」
今年は暖冬といわれ、寒いのが苦手な私にはまだ過ごしやすい方でしたが私が好きなメキシコに比べればかなり寒い日本。冬は余計にメキシコが恋しくなります。そして、メキシコよりさらに暖かいお隣の国、キューバ。カリブ海に浮かぶキューバの音楽を聞くだけで体温も上がる?サルサ界の女王、キューバ人セリア・クルスが歌う「La vida es un Carnaval(人生はカーニバル)」は、孤独だったり、傷ついたり、つらくてココロが凍りついているようなときにもおススメです。
Ay, no hay que llorar 泣くことはないのよ
Que la vida es un carnaval 人生はカーニバル
Es mas bello vivir cantando 歌って生きる方が素敵でしょ
セリア・クルスの見た目の度迫力と歌唱力、そしてサルサのリズムに圧倒されて、私は「そうかも・・・」と、単純に思ってしまいます。(笑)
そして、「人生はカーニバル」まさに、ブラジルは今がカーニバル!普段は貧しい暮らしをしているブラジルの人たちが1年に1度、贅を尽くして着飾り、きらびやかな山車のまわりでサンバを踊りながら練り歩き、人々が熱狂するカーニバル。日本で言うなら「お祭り」にあたりますがイメージは全く違う。でも…
えらいやっちゃえらいやっちゃ ヨイヨイヨイヨイ
踊る阿呆(あほう)にみる見る阿呆
同じ阿呆なら 踊らな損損(そんそん)
・・・ブラジルと同じ血が流れているとしか思えないのは私だけでしょうか?(笑)
「人生はカーニバル=お祭り=マラソン?」
プラッツでマラソンと言えば「大阪マラソン石田さん」ですが。実は私も同じころマラソンを始めていました。
友達が初めて10キロマラソンに出るというので応援しに行ったとき、まさに私の頭の中に「同じ阿呆なら走らな損損♪♪♪」・・・流れてきました。(笑)
それから10キロマラソンに参加するようになり。しかし、42.195キロなんて絶対ムリムリムリ。とさらさら走る気になんてなりませんでした。が、ホノルルマラソンに誘われ、ハワイに行きたい!という理由で、とうとうフルマラソンに出ることになりました。
ホノルルマラソン当日。朝5時スタートに大勢の人たちはさらに早くから集まりだし、DJはハイテンションでスタートを盛り上げ、アメリカ国歌が歌われ、ついにスタートと同時に花火が上がる。まさにお祭り。
私のように初マラソンの人、何度も走っている人、伴走者と走る視覚障害の人、仮装している人、アーミー(軍隊)の人など等、老若男女みんなそれぞれにゴールを目指します。途中で歩いたり、足が痛くなって止まったり、休んだり、トイレに行ったり、くだものやおかし、ポテト、ビールをもらって食べたり飲んだり(地元の応援の人々の差し入れ)。(ある人は途中でマクドに行ったり、家でシャワーしたりする人もいるとか)とにかく42.195キロの道のりをその人のペースでその人なりに進む。
それからマラソンは長くてつらくてしんどいと思いつつ。当日は走る人も応援する人も、お祭りのようなにぎわいでワクワクするマラソンが好きになりました。あと、自分が走るようになって気付いたことがあります。それまでは私も「がんばれ~!」と応援していましたが、「もうすぐ給水所あるよ」とか「あともう少し」とか、「その調子!」とか。「がんばれ~」といわれるよりも頑張れる。
是非、騙されたと思ってセリア・クルスの歌を聞くか、マラソンしてみてください。寒い日本の冬を温かく過ごせるかもしれません。(笑)
2016年2月28日
カテゴリー: スタッフエッセイ
”余裕”
藤村 泰王
皆さま、新年あけましておめでとうございます。
この冬は、暖冬となり、例年ほど寒くない日が続いていますが、予報では急に寒くなる時期もあるとのこと、お体にはお気を付け下さい。
私事ですが、昨年の12月は一ヶ月ほど喉の痛みと咳に悩まされ、なかなかつらい一ヶ月でした。
そして、年末の休みに入り、大晦日にはやっとおさまり、よい正月を過ごすことが出来ました。
皆さんはどんなお正月を過ごされましたか?おせちを食べ、『年賀状』で旧友や親戚等の近況を知り、ゆっくり過ごされた方、突発的な出来事であわただしい正月を迎えられた方と様々な方がいらっしゃると思います。
新たな一年が始まり、気が早いですが『お花見』や『花火大会』など楽しみが待っています。しかし、これらの季節の行事や町の変化、人の変化、草花の芽吹きなどは体力的にも精神的にも余裕がないと楽しめなかったり、気づかなかったりします。
私は、年末に体調が悪いこともあり、余裕がなかったのでしょう、季節や町の変化に全く気が向かず、気づけば『クリスマス』だったり、知らない間にほぼ毎日通る空き地に家が建っていたりと驚くことが多々ありました。
でも、年末年始の間で心身ともにやっと余裕を取り戻せたように感じています。
気づかないうちに無くなってしまう余裕、これがなかなかの曲者なのです。先ほども書いたように、様々な変化に鈍感になり、イライラし出し、そして周りの全てが悪者に見えてしまう。こうなってしまうと、負の連鎖が始まり、さらに余裕がなくなっていく…。
皆さんは仕事や子育てや家のこと、様々なことに追われているうちに、趣味や好きなことを忘れがちになり、ストレスをため込んではいないでしょうか。
余裕がなくなると周りが悪者に見えてくると書いたように、人のどうでもいいことが許せなくなったり、今まで気にならなかったことが非常に気になったり、言わなくてもいいことを言ってしまったりと家族や他の人との関係にも影響してくるように感じます。
今年の抱負:意識して余裕を持つ!
以前より、意識して余裕を持つようにしていたつもりですが、昨年の年末のこともあり、余計にこのことを考えるようになりました。特に「気持ちの余裕」を持ちたいと思っています。
空を見上げたり、道端の植物に目を向けたり、その中で興味を惹かれるものが出てきたら取り合えず、自分なりに調べたり、やってみたり、そこから派生して別のものに興味がでたりと考えるとちょっとワクワクしてしまいます。なので、余裕を持って日々の生活を楽しみ、色々なことに興味を向け、挑戦できればいいなと考えています。
最後になりましたが、皆様にとってよい一年でありますようにお祈り申し上げます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
2016年1月12日
カテゴリー: スタッフエッセイ








